2011年03月14日

その町は

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おかげ様で仙台市内に住む院長の両親は元気にしております。毎日電話で連絡がとれていますし体調を崩している様子もないようです。高速道路や新幹線、宅急便など全てがストップしており、私達も何もしてあげられないのが心苦しいのですが、何とかこの非常事態を乗り越えてもらいたいと願っています。御心配を頂いた皆様にはブログ上ではありますが御礼を申し上げます。
ありがとうございました。


その町は隣町と合併するまでは志津川町といいました。

院長が秋田大学で研修医をしていた頃の話です。
それまで志津川病院の泌尿器科には秋田大学から常勤医が派遣されていましたが医局の方針で志津川から医師を引き上げ、東北大学にバトンタッチしようということになりました。入院患者さんのいらっしゃる中で直ぐに医師が引き上げるわけにはいかず、研修医が交代で2週間ずつ志津川病院にアルバイトに行くことになりました。約半年間、院長は何度も秋田大学から宮城県の志津川町まで出稼ぎ?に行っていたのです。

その町はリアス式の美しい海岸線と三陸の海の幸に恵まれた土地でした。
「僕が行くより君が行ったほうが絶対にイイヨ!美味しい物がたくさんあるからね」と言い残して志津川に向かう院長に私は「絶対に志津川に行きたい、出来ることならバイトに同行したい〜」と何度も繰り返し口にしました。

志津川滞在中は病院が手配してくれた民宿に泊まっていたそうです。1階が魚屋で2階に部屋があるので夕食には新鮮な刺身などがズラリと並んでいたそうです。「実は刺身よりも肉が食べたい」と院長が言っているのを知ってしまった宿主がトンカツを用意して下さったそうで、後で院長からその話を聞いた私は「なんて勿体無いことをするの〜」と罵声を浴びせたものです。

その町の人々の心遣いはとても温かく、気兼ねがないようにと途中からアパートを借りて下さり、交代で出向した研修医はそこで寝泊りすることになりました。

その町の病院で泌尿器科外来が閉じられる日が近づきました。最後の週の担当は院長でした。院長は医局から特にそうするようにと言われた訳ではないけれど、20名ほどの泌尿器科の入院患者さんお一人お一人に、大学の都合でこの病院から泌尿器科医がいなくなることを告げて回り、「今後は外科の先生が診てくれます、東北大学から派遣された泌尿器科医が週に一度は来てくれますから安心して下さい」と頭を下げたそうです。勿論外来の患者さんにもです。患者さん達は院長の話を静かに受け入れて下さいました。

院長が志津川町から離れて随分経ちました。「いつか三陸の魚をお腹いっぱい食べたい、泊まるなら民宿ではなく丘の上にあったという観光ホテルにしよう」私達の会話の中にはそれからも志津川という地名が出てきました。長野県に越してから更にその町は遠くなってしまいましたが、インターネットで海産物を取り寄せるという形で今でも志津川と繋がっています。

その町が合併により南三陸町と名前を変えても、津波で町の姿を変えてしまっても、私は志津川の町に平穏な日常があったことを忘れないでしょう。



posted by クランベリー at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ガンバロウ東北 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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